夜の振り返りmtgを通して、被災地で学生が何を考えているのか、を感じる。
前回の記事でも簡単にご紹介させていただきましたが、私たちは以下の4つの意義をもって振り返りをしています。
①毎日多くのことを考えるため、振り返りシートへの記入を通してその日の気持ちと考えを整理すること。
②地元に戻って友人に伝えるため、みんなへの発表を通して「伝わる」言葉を整理した気持ちから探すこと。
③フィードバックを通して、他の人の考え方に触れ吸収すること。
④活動場所の違った人の振り返りを聞くことを通して、1人では体験できない複数の活動場所の内容と話を共有すること。
参加者とスタッフが順番に今日の活動内容と感想、心に残ったこととその理由、困ったこと・疑問の3つの中でみんなに伝えたいことをシェアした後に、話した内容から命題になることについてみんなで議論します。
今回は2013年度春期ボランティア派遣活動の第3ターム3日目の夜の振り返りmtgの内容を少しお伝えします。
なぜ漁師さんは借金を2重(震災前と震災後)で負っても、漁師さんを続けるのか。
参加者の一人がこの話にボランティア先の漁師さんが「漁師への誇りと復興への願い」を持っていると聞いたと言ったところから議論が始まり、まだ漁師さんにボランティアに入っていない人から中心に「借金があるから他の仕事に就きたくても就けないのでは」「先輩世代からの圧力や風土ではないか」という意見が出ました。その意見に良い意味に捉えて「ここに住んでいる生き甲斐とか常識ではないか」という意見や「他の人が持っていない海への知識やテクニックを最大限生かしているからいいのではないか」という意見が出ました。最後は「人間の考えは賛成と反対に分けることなんて出来なくって、どっちの理由もあるだろう」という意見でした。
「ボランティアとは何か?」から・・・。
このタイミングで必ずといって良い程この命題に当たる(なぜ自分は来ているのか)のですが、ボランティアを狭義的に捉えている人と広義的に捉えている人が混在していて「ボランティアは自分が苦しんでこそではないか。それ以外の誰でも出来る活動はお手伝いである。」という意見や「現地の仕事を取っているのは事実だけど、現地の経済が回るまでのお手伝いがボランティア」、「能動的・積極的であることがボランティア」、「効率性と達成感というある種真逆の重視」などの意見が出てました。
そこから、【責任】の話になり、あくまで「仕事」ではないからノルマをクリアする必要がないが、それならばどこまでがボランティアのミッションなのか。
ボランティアがいない作業する人が現地の人だけのときよりもボランティアが入ったときのほうが作業が遅れるのはダメ(当たり前に聞こえるが、現地の人は多くの時間をボランティアに仕事を教える時間に費やしてくれる)だし、ボランティア人数の増加に比例して作業効率が上がらなかったこと(手が空いている人が増える)を問題視する意見もありました。
最後は今回の活動のゴールに関しての議論になり、東北を発信し続けることが必要か、最近の伊予灘での地震から繋がる地元の防災意識の向上か、など自分の活動意義を議論しました。
支援のカタチ(寄付か、ボランティアか)と自己満足の関係性
今日一緒に活動した団体さんの話から、やっぱりお金の流れが分からない寄付の必要性を議論し始めましたが、「それでは、みんなは参加費等々も含めて7万円ぐらい使っている。そのお金を参加者約100人みんなが寄付したら700万円になる。」という意見も出て、どっちの方がボランティアでは決してしていけない自己満足なのかを考える機会になりました。
他にもキーワードとして、「自分達(ボランティア参加者)は震災を認めたくない。だから、活動は楽しかっただけ(一見浅い意見に聞こえるけど心の奥には震災の怖さから逃げている)という意見になる。」
現地の方の日常会話の中で普通に震災の話が出ることに関して「家以外の流されたコトに焦点が当たっていない。」という意見もありました。
また、被災者への愛のある発言をしていた人に対して、「それでも被災者から震災当初の話を聞けて良かったと思っているでしょ。」という意見に同意するという場面もありました。
毎回2時間以上に渡って熱い議論を繰り返します。